浮世絵たん

@ukiyoe_tan

浮世絵のお勉強をしています。素人ですが、約1年ほど美術館で働き、興味を持ちました。基本BOTですが、展覧会も大好きなので行ったらレポします。 アイコン画像は喜多川歌麿の高名美人六家撰 難波屋おきたちゃんです。中の人はすっとこどっこいです。

主に都内の美術館・博物館に出没
Vrijeme pridruživanja: rujan 2013.

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  1. prije 2 sata

    【浮世絵を100倍楽しむ江戸文化】旅籠屋に置ける飯盛女は1軒2人まで。でも現実はそれを無視して増える一方。明和元年(1776)には500人まで増やせる許可が道中奉行の安藤弾正より出されたの。品川宿では安藤に感謝の意を込め8月7日を弾正日待ちと称し祭るのが、明治元年まで続いたわ。

    Poništi
  2. prije 6 sati

    【浮世絵を100倍楽しむ江戸文化】江戸時代の旅ブームに一役買ったのが街道沿いの宿場町ね。中でも五街道は交通の大動脈。東海道では品川、奥州道中は千住、中山道は板橋、甲州道中は内藤新宿。これら四宿は江戸から近く行楽地のような活況。旅籠屋に置かれる飯盛女も増え、ほぼ遊郭状態だったわ。

    Poništi
  3. prije 10 sati

    【浮世絵を100倍楽しむ江戸文化】江戸の両替商には本両替と脇両替がいて、脇両替はさらに三組両替と番組両替がいたの。本両替は金銀を扱い、三貨の相場を幕府へ報告していたわ。三組両替も金銀を扱ったけど、多くが酒屋や質屋を兼業。今の金券ショップ大黒屋みたいね。番組両替は銭だけを扱ったわ。

    Poništi
  4. prije 14 sati

    【浮世絵を100倍楽しむ江戸文化】金・銀・銭の三貨の交換や融資、為替、手形発行などで国の資金や物流を支えたのが両替商で、手数料や貸付金の利息の他、三貨変動相場制で多額の為替差額を得ていたわ。天秤と分銅は両替商の必須アイテム。分銅は不正防止のため幕府公認のものが使われたの。

    Poništi
  5. prije 18 sati

    【浮世絵を100倍楽しむ江戸文化】三貨制という複雑な経済システムの中、武家はなんと米の現物支給。食料分以外を売却し現金化していたの。その換金を行ったのが札差で米は安く買い叩かれ市場には吊り上げて売却。参勤交代や天下普請の負担で家計は赤字体質の武士に札差は高利貸しもやって儲けたわ。

    Poništi
  6. prije 22 sata

    【浮世絵を100倍楽しむ江戸文化】金・銀・銭の三貨制は東西だけでなく、取引される品・サービス・階層によっても使われる貨幣が異なり、金極(ぎめ)・銀極・銭極と呼ばれたわ。金の通貨圏である江戸でも、上方からの下賜物の上等なお茶や呉服、砂糖・塩などは銀極で、庶民の日用品は銭極よ。

    Poništi
  7. 4. velj

    【浮世絵を100倍楽しむ江戸文化】数字の事は苦手な浮世絵たんなりに江戸の貨幣制度をざっくり説明すると、東は金、西は銀で通貨圏が分かれていて、銭(寛永通宝)は全国共通。そして金・銀・銭は各々変動相場制で、現在の円・ドル・ユーロみたいな事を国内でやってたの。あー、頭がクラクラする。

    Poništi
  8. 4. velj

    【浮世絵を100倍楽しむ江戸文化】三代豊国「甘露梅折ノ図」には吉原名物の甘露梅を仕込む場面が描かれてるわ。甘露梅は青梅を紫蘇で包んで砂糖漬けにした菓子。毎年5月頃仕込み年始に贔屓筋へのお年玉になったわ。川柳「やきながら女房のたべる甘露梅」は嫉妬する妻が美味しく食べるのを詠ったの。

    Poništi
  9. 3. velj

    【浮世絵を100倍楽しむ江戸文化】歌舞伎見物には当時芝居茶屋を介して席の手配などをしてもらったの。幕間に客は茶屋へ引き返すんだけどなんとその際、客は役者と同様、着物を着替えたのよ。それはオキニの役者に見られるため!早朝四時から準備して出掛けて、幕間には衣装替え。気合い半端ないわ。

    Poništi
  10. 3. velj

    【浮世絵を100倍楽しむ江戸文化】経営不振の芝居小屋は櫓を下ろさねばならず、その時期だけ代わり興行する者はそれぞれ中村座→都座、市村座→桐座と決まり、三座を本櫓というのに対して控櫓と呼ばれたわ。寛政6年には本櫓三座が揃ってたたむことになり、3年ほど控櫓三座が興行をしていたことも。

    Poništi
  11. 3. velj

    【浮世絵を100倍楽しむ江戸文化】1734年、森田座は経営不振のため、一旦小屋をたたみ借金返済をした上で再興することになったわ。そこで森田座の休業中に限り興行させて欲しいと、河原崎権之助、桐大内蔵、都伝内の3者が願い出て、くじ引きの結果、河原崎座が生まれたの。

    Poništi
  12. 3. velj

    【浮世絵を100倍楽しむ江戸文化】江戸時代の歌舞伎は官許が必要で、その証拠に櫓を挙げたの。興行を許された座元(責任者)は収益から櫓銭という興行権料を幕府に収める義務があったわ。基本、江戸には中村・市村・森田の三座があったけど、経営不振の時は別の座が櫓を挙げ興行することもあったの。

    Poništi
  13. 3. velj

    【浮世絵を100倍楽しむ江戸文化】豊国「芝居大繁昌之図」などを見ると芝居小屋には舞台の裏側にも客席があってギュウギュウ詰めで見物しているわね。川柳にも「大当り 一坪ほどで 所作をする」なんてのがあって、大入りの時は舞台にまで観客をあげてしまったらしいわ。

    Poništi
  14. 3. velj

    【浮世絵を100倍楽しむ江戸文化】江戸時代の隅田川は橋が五つしかなかったの。千住大橋に両国橋、新大橋、永代橋、そして民間でかけられた吾妻橋。少ない橋までわざわざ陸を歩いて行くのは大変だから、渡し舟が発達したわ。定期船の他に、堀や用水も走れるタクシーのような猪牙舟も活躍したの。

    Poništi
  15. 2. velj

    【浮世絵を100倍楽しむ江戸文化】「宵越しの銭は持たねえ」という意識は、火事が多くわざわざ貯蓄をして住居を構えてもすぐに家や財産を失う可能性が高かった事も関係しているわ。江戸中期の男女比は2:1で圧倒的に男だらけ。よって単身男性のための外食産業や風俗産業が発展したというわけ。

    Poništi
  16. 2. velj

    【浮世絵を100倍楽しむ江戸文化】幕末期、ほんの一瞬だけど「脱衣婆信仰」が流行するわ。脱衣婆とは三途の川で死者から衣服を剥ぎ取る老婆の事。前歯が欠けていたため口中の病を治す等ご利益があるとされたわ。でも流行りは一年足らずで僧侶がお上に捕らえられ終了。お布施で暴利を得ていたみたい。

    Poništi
  17. 2. velj

    【浮世絵を100倍楽しむ江戸文化】歌舞伎や吉原へは陸路だけでなく船で行く方法もあったのは有名だけど、そもそも江戸全体がヴェネチアのような水運都市だったのよ。理由としては物を多く運ぶには船が一番良かったことと、やはり火事が多かったからとにかく近場に水をひいておくのが重要だったの。

    Poništi
  18. 2. velj

    【浮世絵を100倍楽しむ江戸文化】そろばんは商いが盛んになった江戸初期に普及。後期には武士や庶民の生活にも必須だったの。子供は大体7歳くらいから寺子屋で習い始めたわ。そろばんは玉の滑りが悪いと仕事効率が極端に下がるから、専門の修理屋もいたのよ。

    Poništi
  19. 2. velj

    【浮世絵を100倍楽しむ江戸文化】長屋の間を売り歩く行商人は魚や野菜などの食材に塩や砂糖の調味料、お惣菜など食べ物だけでもあらゆる物を売りに来たの。そして例えば砂糖売りは、なんと“さじ1杯”から売ってくれたわ。庶民は日雇いその日暮らしの者も多かったから、とっても助かったわ。

    Poništi
  20. 2. velj

    【浮世絵を100倍楽しむ江戸文化】江戸の町人は自宅にお風呂がなく、毎日湯屋に通っていたの。入浴料は100円程度で今の銭湯よりかなり安いわ。町人が自宅に風呂を作らなかった理由はただでさえ火事の多かった時代、そして湯を沸かす薪代や手間を考えると、湯屋の方が安上がりだったみたいね。

    Poništi

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