だからブルボンの本社は、水害にあっても対応できるような構造になっており、いざとなれば被災者受け入れも可能になっている。災害時避難物資の提供を地元自治体と協定を結んでいるくらいなのだ。pic.twitter.com/JQ9v655DWs
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だからブルボンの本社は、水害にあっても対応できるような構造になっており、いざとなれば被災者受け入れも可能になっている。災害時避難物資の提供を地元自治体と協定を結んでいるくらいなのだ。pic.twitter.com/JQ9v655DWs
これに関しては伝説的エピソードがある。ブルボン、実はミネラルウォーターの製造も行っているのだが、その工場が稼働したのは、1995年1月17日・・・そう、阪神大震災の起こった日であった。pic.twitter.com/8kVFrtrePF
ブルボンはその日から、被災地に作った水を片っ端から支援物資として提供した。あの日被災地で、ブルボンのマークの着いた水を見た者もいるのではなかろうか。pic.twitter.com/DKdwTwKwBu
「お菓子」は、生活に絶対不可欠なものではない。 なくとも、人は死にはしない。 だがだからこそ重要なのだ。 「生きるため」「栄養のため」ではなく、「楽しむため」の「お菓子」は、平和と平穏の象徴なのだ。 ブルボンはそれをわかっているのだ。pic.twitter.com/DYVQhOLWKI
さて、その「お菓子」をテーマにしたアニメイションと言えば、そうですね、「プリキュアアラモード」を誰もが思い浮かべるでしょう。pic.twitter.com/qet79Cjs64
「プリキュアアラモード(略称プリアラ)」では、プリキュアになった少女たちが、パティスリー・・・お菓子屋さんを営むという物語です。これだけ聞くと、「ああ、女の子らしい、可愛いおはなしね」と思うでしょう。だがさにあらず。pic.twitter.com/NzqyXMr26O
この物語は、さらにさらに深い哲学が描かれているのです。プリアラのラスボスは「闇の存在ノワール」と呼ばれる者でした。ノワールは「お菓子の中に宿る」、「キラキラル」という力をこの世から全て奪い取ろうとします。pic.twitter.com/spKdvC1Xyc
ただこの「キラキラル」、どういうものか、明確な説明はされていません。それは「元気の素」であり、それが失われるとスイーツは「美味しくなくなる」ということは明示されましたが、具体的にどういった根源のものなのかは、さらっとぼかされてきました。pic.twitter.com/xcUUhGjv2c
だがそれは後半にかけて徐々に明かされていきます。主人公いちかたちの先代のプリキュアの時代、ノワールはまだ人間でした。しかし数多の罪を背負った(一説には戦場で非人道的な行いをした)ことから、己の中に宿った闇の力に苦しんでいました。pic.twitter.com/27g5e6E2La
そんな彼の前に現れたのは、先代プリキュアのルミエルでした。彼女は、自分の作ったお菓子で、多くの人々を笑顔にしていました。闇に囚われかけていたノワールは、彼女の笑顔に救いを見出します。要は、惚れたのです。pic.twitter.com/VpxCyt4gZo
しかし、初めて「愛」に目覚めたノワールは、その感情が理解できませんでした。ただ、ルミエルを自分のものにしたいという独占欲で動いてしまい、「みんなを笑顔にしたい」という彼女に拒まれてしまいます。pic.twitter.com/SB2uIUBMr5
初めて愛を知り、初めて失恋したノワールは、激しく苦しみます。その苦しみの原因こそが、ルミエルの思いのきっかけとなった、彼女の作ったお菓子の中にも宿っていた「キラキラル」のせいだと判断し、ノワールは「こんな苦しみを与えるものなど」と、「キラキラル」の根絶を企んだのです。pic.twitter.com/Yeb1KHbohe
ちなみに、先代プリキュアのキュアルミエルを演じたのは、後に「スタートゥインクルプリキュア」で、キュアソレイユこと天宮エレナを演じた安野希世乃さんです。 二回プリキュアを演じた数少ない例ですね。pic.twitter.com/QXF0HoDnWf
話を戻して・・・ノワールは、なおもルミエルの焦がれる己を嫌って、肉体を捨て精神体となり、百年に渡る怨嗟の存在となり、配下を差し向け、プリキュアたちと闘います。いつかたちはなんとかその中に光明を見出そうとしますが、突如として横槍が入ります。pic.twitter.com/duSSX3jHz0
それは、ノワールが捨て、「心なき下僕」として使われていたエリシオでした。彼はいいます、「喜びも悲しも無用なもの、そんなものがあるから、世界は乱れるのだ」と。pic.twitter.com/2jdLk2FnWl
「闇」のノワール、「光」のルミエル、2つの力を吸収し、「不必要なものを全て排除した平穏な世界」を作ろうと企みます。しかしそれは、世界全ての意味を失わせる「無」の世界でした。pic.twitter.com/r337ci3vKU
しかし、エリシオがその結論に至ったのも、「主であるノワールに道具とされた憤り」と、なおも彼の中にあった「ルミエルへの思い」故でした。心なき人形であったはずの彼の中にも、「不必要」と断じた「心」が生まれていたのです。プリキュアとの闘いでそれを知った彼は、敗北を認め、去っていきます。pic.twitter.com/aCI5Pqz0Yz
そして戦いは終わり、プリキュアたちはそれぞれの道に進んでいきます。ある者は科学の道に、ある者は音楽の道に、ある者は海外に留学し、ある者は医学の道を歩みます。pic.twitter.com/LXT2OLe0cn
そして主人公であるいちかはどうしたかというと、遠い異国(それも日本とはまた異なる事情のある国)で、パティスリーを開いていました。そこで、ケンカするこどもたちにお菓子を振る舞い、彼らを笑顔にしていたのです。pic.twitter.com/Nr69AS6sM1
お菓子は、「飢えを満たすため」のものでも「栄養のため」のものでもありません。にも関わらず、人は手間をかけ、時間をかけ、必死こいて作ります。それはなぜか、「楽しい」からです。そこにおいて、ようやく「キラキラル」の意味がわかるのです。pic.twitter.com/8e2C0rTeO1
「キラキラル」とは、言ってしまえば「無駄」なのです。なくてもかまわないものなのです。でも、その「無駄」w愛せること、愛おしいと思うこと、それこそが人間の叡智なのです。「寄生獣」においてミギーが至った境地、「無駄であることに意味を与える」尊さだったのです。pic.twitter.com/ikaPQh43Se
いちかのお菓子を食べて笑顔になった二人、その顔は、ノワールとルミエルを彷彿させる姿でした。もしかして、百年の時を超えて転生した二人だったのかもしれません。百年の怨嗟を超える「無駄な力」が生み出した笑顔だったのですね。pic.twitter.com/7uB5zvTfZK
「もし生命も戦も進化も死も生も全て無駄だとしても、だが意味を見出すことも、意味をもたせることもできる。人間だけがそれをできる」ーーおそらくいちかのたどり着いた道こそ、さる民生屋さえも、思わずほころばすものであったことでしょう。pic.twitter.com/n4ipHHW3Nd
というわけで、「無駄とはなにか」「必要とはなにか」「意味とはなにか」「生きるとはなにか」そういった、「人は何故に生きる」という壮大な哲学を、「お菓子」をテーマに描いたのが、「キラキラプリキュアアラモード」という作品だったのではないかと思うわけですね。pic.twitter.com/FlXQE5oA2H
「それ必要なの?」「それが意味あるの?」「それなんの役に立つの?」などの、過剰な実利主義に毒された現代だからこそ、少し落ち着いて、お菓子を楽しむ余裕を持ちたいものです。ただ「楽しい」それはとても、素敵なことなのです。pic.twitter.com/7PEzCk70lN
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