うちの親は1971年からタウン誌を作っているわけだけれど、慶應の新聞研究所出身で、アメリカの地方紙(町ごとに新聞やラジオがある)モデルを日本に普及させるんだという思いで駆動しているので、今も明確に市民運動の延長としてタウン誌を捉えている。
-
-
Show this thread
-
親を相手にしていると、すぐに思想や理想の話が始まるので、そこがだいぶ薄まっている僕のようなインターネッツ世代からすると、彼らと共存してのメディア運営はだいぶやりづらいと感じてしまう。ここが僕が継がないでいる理由のひとつ。
Show this thread -
もうひとつはコミュニティの基盤としてのタウン誌という意味で、今後の軸足を定めるのはすごく大変だと思うから。どれも50〜70代が読者層で、若返りできていない。東京都多摩部でいうと西多摩新聞などは代替わりしたと思うけど、誌単体では本当に苦労していると思う。
Show this thread -
まぁ経営的にどうあれ、あのアーカイブをなんとかしなきゃいけないし親も老いているので、会社の役員にはなっている。デジタルアーカイブ化と武蔵野ふるさと歴史館への寄託あたりが、僕がつける道筋かなぁと思っている。
Show this thread -
どういうところが思想駆動的か補足しておくと、タウン誌は地域の資金ベースで運用されるべきで、外側の(電博等からの)広告を受け付けないあたりとか。経済合理性はしばしば(僕らの世代からすると)過度に無視される。
Show this thread
End of conversation
New conversation -
Loading seems to be taking a while.
Twitter may be over capacity or experiencing a momentary hiccup. Try again or visit Twitter Status for more information.