因みに東名、当初計画では御殿場まで 最初から6車線で造ろうとしてたそうな が、東名が地元・小田原を通らない事に 不満を持った当時の建設大臣・河野一郎 (今の河野太郎外相の祖父)が小田厚の建設 を指示、厚木-御殿場間の2車線分の予算 を削って小田厚を造ったそうなbyウィキ
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この「我田引水」がなければ、 小田厚は存在しなかったかも知れんね 今となっては大臣の指示云々に関わらず、 首都・東京と世界的観光地である箱根や 関東屈指の保養地・伊豆を短絡する道路 として、どう考えても必要不可欠な存在 である事に疑いの余地は一切無いけども
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そんな小田厚、1969年3月の開通当初は 大部分が暫定2車線(対面通行)でした そしてインター等の前後を除く大部分が 「追い越い可」でした(おっかねーなww 全線4車線化は丸10年後、79年の7月 そして開通当時の姿を(悪い意味で)今に 留める二宮IC。求む大臣の鶴の一声…pic.twitter.com/1svvZxJXOq
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