大正7年、米騒動が起こると、東京市などが市設食堂・公衆食堂とよばれる大衆食堂を設立し、安価な食事の提供を始めます。これ以降、私設の大衆食堂も増えていくことになりますが、ここに「定食」が登場します。
Conversation
これは大正14年の「東京府管内社会事業要覧」から、米騒動の直後に設立された公衆食堂、昌平橋食堂の現況です。ほかの食堂ではうどんやパンなども選べますが、公衆昌平橋食堂のメニューは「定食」のみです。
1
17
22
これは昭和3年から時事新報に連載された「東京名物食べある記」による昌平橋食堂のレビュー。”定食一點張りなので、四人の前へズラリ一様に會席形式に同じものが並ぶ”つまり、食堂に入ると有無をいわさず全員同じ食事が提供されます。これが「定食」です。
1
20
30
明治時代の定食は、西洋料理のコース料理を意味しました。それが中華料理や日本料理のコース料理にも応用されるようになります。しかし、大衆食堂の定食はコース料理ではありません。
Translate Tweet
Replying to
「東京名物食べある記」では定食をコース料理である会席料理に例えています。両者に共通することは「客が内容を選べないこと」。つまり、「定食」はコース料理から意味を広げて、店が「定」めた、客が選べない「食」を意味するようになったのです。
1
26
34
こちらは関東大震災後に発足した大衆食堂のチェーン店、須田町食堂(現 聚楽)の支店オープンの写真です。真ん中に「合の子弁當十六銭」「定食二十五銭」と書かれています。「焼き魚定食」や「とんかつ定食」といった表現はメニューにありません。ただ単に「定食」なのです。
1
23
29
昭和2年頃の須田町食堂のチラシです。字が小さくて読みにくいのですが、「定食 並二十五銭 上四十銭」とかかれています。客は選べるのは上か並かのみ。「焼き魚定食」や「とんかつ定食」のように、おかずの内容は選べないのです。
1
27
34
現在で言えば、店がおかずを決める「日替わり定食」や、学食や社食の「AランチBランチ」にあたるのが、戦前の大衆食堂の「定食」です。「焼き魚定食」や「とんかつ定食」のような「おかずプラス飯と汁のセット」という意味で「定食」が使われるようになったのは、戦後のことなのです。
67
96
