今日は「至る道」の話。 【赤ちゃんを抱く女性】 生まれてまもなくの自分。 【駅前の枚方映劇】 河出書房新社の本「片渕須直」にも出ている。実家がやっていた映画館。 【航空写真】 【大阪の劇場リスト】 当時の映画館ではフィルムは配給元から借りていた。いったん借りたら自転車で走り回っていた。pic.twitter.com/LTLFYTB4Cw
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今日は「至る道」の話。 【赤ちゃんを抱く女性】 生まれてまもなくの自分。 【駅前の枚方映劇】 河出書房新社の本「片渕須直」にも出ている。実家がやっていた映画館。 【航空写真】 【大阪の劇場リスト】 当時の映画館ではフィルムは配給元から借りていた。いったん借りたら自転車で走り回っていた。pic.twitter.com/LTLFYTB4Cw
【わんぱく王子の大蛇退治の予告編のyoutube】 スサノオの声は子役時代の風間杜夫さん。当時は名前が違うけど。映画館の家族だからといって席をとってくれたりしない。この映画は大蛇との対決シーンから観た。pic.twitter.com/6cGeMxYTTl
2歳7か月※の記憶だと思っていたけどそれは東京の封切り時期。大阪は遅かった。2歳11か月の記憶。これが人生の記憶の始まり。「この世界の片隅に」へ至る道の第一歩だった。1963年。 ※注:映画「<片隅>たちと生きる 監督・片渕須直の仕事」の中では2歳7か月とコメント。pic.twitter.com/dwQeSFEueK
仕事として初めてだったのは「名探偵ホームズ」の脚本と演出助手。1963年からわずか18年後。 【「名探偵ホームズ」の絵コンテ】 宮崎さん。 【テレコムの3Fと4Fの担当分け】 3Fと4Fで二班に分かれてやっていた。
【映画「NEMO/ニモ」絵コンテ】 見ると自分の字が書いてある。友永さんの字もある。製作費28億円。「乱」より多い。パイロット・フィルムはできた。お蔵入りになった。「やってる最中に取り上げられる。やってられないな」。
虫プロダクションへ移った。虫プロはいちど倒産した。労働組合がスタジオに居残って虫プロを続けた。「親子でよい映画を観る会」で「うしろの正面だあれ」に関わった。
【インタビュー記事】 録音監督の明田川進さんが「この世界の片隅に」について語ってくれたインタビューがある。当時書いた脚本の話も。 【脚本の表紙】 「トキ物語製作委員会」の「ドウのすむ島」。頼まれて書いた。「トキ」と言いたくなかったので現地の言い方の「ドウ」にした。
スタジオ4℃が作られることになった。 【「アリーテ姫」の脚本】 「アリーテ姫」の脚本。1998年10月1日。 【絵コンテ】 【ぬいぐるみ】 ぬいぐるみは浦谷千恵さんが作った。缶バッジなどもあった。みんな浦谷さんが一人で作った。
「この世界の片隅に」では映画を作る前からTシャツとかを作っていた。いま上映中のものも、ポストカードを作って配っていただいている。自分たちは「映画だけでなくその周辺のこともやりたい」と思ってやってきた。手作業が大事。
【バツ印がたくさんついたスケジュール表】 バツ印をつけるのが快感。終わったということだから。アリーテ姫に割り込んで「エースコンバット04」もやっていた。
「黒澤明監督が途中まで考えたシノプシスを映画の脚本に書いて3DのCGアニメにする」という人がいた。脚本を頼まれた。戦国時代。主人公をスティーブ・マックイーンにしようとしていた。南蛮系の人として。
【南蛮船が日本に到着するまでの箇条書き】 到着するまでを延々と書いた。(映像化には)黒澤プロの許諾がいる。実写にしようという動きもあった。
自分としては面白い話が書けた。三週間。アリーテ姫の監督をしながら。スタジオ4℃の別フロア。机で円陣を作って脚本を書いた。「誰も入るな」という感じ。お手洗いのときだけ外へ出た。
【「エースコンバット04」の動画】 絵は浦谷さんが描いた。アリーテ姫のぬいぐるみを作っていたころ。アメリカマイティマイトは大塚康生さんが描いてくれた。
フランスの「ラ・ジュテ」という映画がある。ナムコのチームの人たちが「映像を作ってくれないか。お金がないから『ラ・ジュテ』みたいな止めの絵で」。「ラ・ジュテ」は「12モンキーズ」の原点。
「エースコンバット04」は英語版。チェックした。あのときほど英語で苦労したことはない。「BLACK LAGOON」の世界のようなベランメエな英語だった。それを英語で直した。(「エースコンバット04」の仕事も)「この世界の片隅に」へ至る道の一つ。
「BLACK LAGOON」はアジアの暗黒街。ベトナムにロケハンに行った。 【ロケハン写真】 丸山さんが一緒に行った。丸山さんは写真が上手い。これは(劇中)爆破されるホテル(のモデル)。ほんとにあるんだな。サイゴン、ホーチミン、カンボジアに行った。丸山さんがカンボジアに泊まりたがった。
【ロケハン写真】 北ベトナムに旧ソ連のミサイル艇。ミサイル(部分)を外して密輸に使っていたのでは。本当に暗黒街があるんだな。(現地の)生活っぷりを見てきた。「この世界の片隅に」へ至る道。厚木基地ではゲートから写真を撮ったらめちゃめちゃ怒られた。基地を撮ってはいけない。
【PC作業画面】 「S#2の設計」とある。「マイマイ新子と千年の魔法」のシーン・ナンバー2。場所の設定を書き出している。 【マイマイ新子と千年の魔法のプロット】 (当時の構想では)最後は現代だった。いまも各地で上映していただいている。「千年の魔法」が出てくる。千年前を描くのが大変だった。
【「MM9」のイメージボード】 怪獣もの。怪獣が普通に存在している世界。災害。気象庁が規模、進路、移動速度を量る。気象庁にマッドハウスの名刺を出したら反応してくれた人がいた。
「怪獣がいる世界」にリアリティを持たせようとした。大正時代にも怪獣がいた。東日本大震災の前の時期(に準備していた)。先延ばしにしていたら震災が起きた。怪獣が震災(のメタファー)になって(結果的に)人の不幸をお話にしてしまう格好になる。ペンディング。
諦めたわけではない。どう復活するかはわからない。テレビシリーズにしようとしていた。 【「MM9」の第一話のシナリオ2009年6月19付】 「MM9」は「モンスター・マグニチュード9」。本当のM9が来てしまった。「MM9」が浮上しないでうまくいかなかったときに「この世界の片隅に」が浮上した。
「マイマイ新子と千年の魔法」は作者の高樹のぶ子さんがモデル。昭和30年に8歳から9歳。4月生まれ。お母さんが29歳。新子ちゃんを身ごもったのは戦時中。終戦後のベビー・ブームより前の子。
4月だから戦争中にお腹が大きくなり始めた。女学生みたいな人。そういう人が戦時中には防空頭巾をかぶっていた。それを映画にしたくなった。そういう話をしていたら防府で「この世界の片隅に」を紹介してもらった。
【「マイマイ新子と千年の魔法」のロケ地マップ】 浦谷千恵さんが描いた。「BLACK LAGOON」も描けばこういうのも描く。千年前、麦畑、いまは建物が建っている。千年前と昭和30年が重なってくる。想像力がすごく刺激される。楽しい。多くの方にも味わっていただきたい。
【防府の周防守の館の跡の場所】 周防守は清少納言の父でもあった。ここに本人が立っていた。建物は違うけど、(周囲の)山は千年前からあった。いまと間にあるものを想像して楽しむ。知的な体験。
こうの史代さんは「夕凪の街 桜の国」を描くまえに「原爆をよける」みたいな気持ちがあったらしい。自分も同じ。家の階段にしばらくは「この世界の片隅に」を置いてあった。2010年7月に「マイマイ新子と千年の魔法」が広島のサロンシネマで上映。舞台挨拶に行った。その広島の物語なら読んでみようか。
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