錯覚研究に対する批判 http://journals.sagepub.com/doi/10.1177/0301006618774658 … http://journals.sagepub.com/doi/pdf/10.1068/p010239 … 錯覚研究はside showだとかAn Infantile Disorderだとかという反論は理解できるけど、別にそれでいいんじゃないかなと思うし、自分は錯覚はデザインへの応用可能性高いから、錯覚自体を研究する意義は高いと信じている。
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Replying to @takkawabe
錯覚研究的アプローチは、科学の方法論として積極的に擁護したいですね。とくに知覚経験に関する知見は、わざわざ行動に変換して統計処理するより、じかに体験させたほうが説得力があるし。データを取って統計処理することだけがサイエンスでない。もっと多様な「説得のさせ方」があっていいと思います
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Replying to @ykamit
コメント有難うございます。科学的な方法論の一つとして錯覚研究的アプローチがある、という考えを私はこれまで自信を持って言えていなかったのですが、「どう人を説得できるか」を緻密に考えて錯覚を研究していくことで、錯覚研究を科学的に意義深いものにできそうだなと思いました。
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Replying to @takkawabe
脳研究の知見も「脳刺激ディスプレー」で体験して納得することができるようになるかもしれません。AR/VRを含むディプレー技術の進歩によって、実験室の外でも実験の効果を体験できれば、科学の方法論も変わってくるのではないかと思います
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Replying to @ykamit
再度有難うございます。私は最近、実験室で得られた知覚心理学の知見をプロジェクションマッピング等を利用して体験へ落とし込む流れを作ろうとしているので、おっしゃっていることに同意致します。脳刺激ディスプレイは実現すれば究極のVRになりそうですね。
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Replying to @takkawabe @ykamit
言語を使えるのは人間だけである、とか、道具を使えるのは人間だけである、といったもの言いと同様、錯視をおもしろがるのは人間だけである、という私の主張は、その重大な意義がなかなか理解されません。面と向かって笑う人はいないのですが。
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Replying to @AkiyoshiKitaoka @takkawabe
外界についての認知構造が根本的に違うんですかね。錯視の普及・啓蒙活動で錯視が当たり前になったり、人工的な視覚環境に適応することで、いつか人類も錯視をおもしろがらなくなるんでしょうか
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認識の形式の違いだと思います。例えば、添付図の知覚は、錯視と認識すればおもしろい知覚ですが、恒常性と認識すればフツーの知覚です。pic.twitter.com/GvysqqDZDa
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Replying to @AkiyoshiKitaoka @ykamit
私は人間の「見立てる」という行為がとても好きで、いつかは研究してみたいと思っています。二重の世界を見てそれを楽しむ人間の特性に関心があります。錯覚を楽しむという行為も、非常に似た枠組みなのかもしれません。「錯覚を見る」ということ自体を研究するという観点は目から鱗でした。
0 replies 0 retweets 6 likesThanks. Twitter will use this to make your timeline better. UndoUndo
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